無住心言術道場第54回「勉強の出来る子と、勉強の出来ない子の神話を越えて」世間に流布する、根拠なき諦観論を打ち砕くため、針屋忠道、突貫します。
現在の日本社会では、イミフの閉塞感の原因として、勉強が出来ないから、現実逃避して、犯罪に向かう人達が多くいます。
大部分は雇用の問題で、従来の学校教育では、現在、世界の中の日本で要求される知識や、能力、学力が育たない。結果的に、日本のカリキュラムの改革は遅すぎる形で為されたことになります。
従来の考え方は、単純な労働者を前提とする、産業革命期から、コンピュータが産業の中で大きな意味を持つ前の、冷戦終結の近くまでは、妥当な考え方です。
「
かつては手描きで設計図を作成する技能が重視されていましたが、現在では世界的に、Windowsパソコンやワークステーション上で動作するAutodeskのAutoCADなど、CADソフトによる設計が主流となっています。なかでもAutoCADは業界標準とされており、チームでの設計作業においては、図面の共有や標準化を実現できる点が大きな強みです。
」(この部分は生成AIのCopilotさんに校正してもらっている)
AutoCADで作成した設計図のファイルは、デジタル工作機器に入力できます。デジタル工作機器の作業指示を行うCAMソフトウェアもあります。(生成AIのCopilotさんの手順の説明「AutoCAD(設計) → CAMソフト(加工指示作成) → G-code等のNCデータの出力 → 工作機器で実行」)」
このような時代の変化の中で、単純な労働力ではなく、教育期間以降も自発的に、もしくは社会的な要請で、生涯学習や、リカレント教育、リスキリングは、必須となります。
ですが、日本人では、独自の精神文化で、学校教育以降は勉強はしないという奇妙な日本人らしからぬ風潮が現在では蔓延しています。
昔の日本人達は、明治維新後に、様々な方法で、自ら創意工夫を行い文明開化のために尽力しました。
そのような、日本人らしさの美徳が、失われています。
むしろ、学校教育以降で勉強することは「恥」の様な、言い訳めいた自己弁護のような考え方も散見されます。
ですが、学校教育以降に勉強しないで、日本社会の発展に寄与できない方が、「恥」であるという単純な、公共精神には思い至っていません。私人レベルの自己撞着と言ったら過言でしょうか。
それは、学校教育で、一度、挫折したら、そこで終わりという。一種の強迫観念にも似た、冷静に考えればイミフの精神文化です。
ですが、中等教育の終了までに、ほぼ全科目を仕上げて大学受験を迎えられる人達は、ごく僅かです。
日本社会に貢献できる優秀な人材が集まる上位以上の大学や医学部などが例外ですが。
ダメな科目が在っても、大学によっては、大学受験では受かる場合が在ります。
逆に言えば得意な科目だけで、大学に受かるという考え方です。
得意じゃない科目が在っても大学に受かって卒業すれば四年制大学を卒業した学士号がもらえます。
文系三科目で一科目に穴が在っても他の二科目が良ければ受かる場合もあります。そして他の理系科目も含めた科目が全部ダメでも合格はします。
同様に、理系三科目で一科目に穴が在っても他の二科目が良ければ受かる場合もあります。そして他の文系科目も含めた科目が全部ダメでも合格はします。
まず、学校教育で挫折を覚える場合、教室の中に、「勉強ができる子」と呼ばれる神話が存在します。ですが、この「勉強ができる子」達が全ての大学進学を行っているのでしょうか?
ただ単に授業の前に予習や塾通いで事前に知識を得てきて、授業で、正答を得ているだけの人物を見て勝手に挫折して「勉強ができる子」だから、と勘違いしてビビっているだけではないのでしょうか。
このような、「勉強ができる子」の神話自体は、両親の最終学歴などから作られます。
大学を卒業をした両親の家庭には、最低でも岩波新書は存在するはずです。そして、それ以上の大学以上のレベルの書籍も、存在するはずです。
「勉強ができない子」は、先天的な制約がない限り、基本的には「勉強の方法が判らない子」でしかないはずです。先天的な制約がある「勉強ができない子」は、今後、遺伝子を変異型から野生型に戻す治療で「勉強の方法が判らない子」になります。
生成AI時代は、後天的な、学習である、「家庭の見えない教育資産」と呼ばれる、社会階層移動に有利な、もしくは、上の社会階層に留まる為の、文化的な、知識などの情報や経験で足りない部分は、大部分が、生成AIを使うことで、得ることができます。
生成AIを使うことで「勉強ができない子」と「勉強ができる子」の間に存在する情報の非対称性を「家庭の見えない教育資産」の観点からは打ち消すことが可能だと考えられます。
結果的に、「勉強の方法が判らない子」は、公立の学校でも、生成AIを用いて、「家庭の見えない教育資産」の欠けている部分を埋めていくことが可能です。
前々回に書いたように、努力した分が、ちゃんと成果として受け取れる、教育環境を日本は世界に先駆けて生成AIの使用で整備していくことが必要です。
このような単純な事すら目隠しされて見えない日本の現状が大問題です。
「勉強の出来る子」と「勉強が出来ない子」が居るのではありません。「勉強が出来るように見える子」と「勉強の方法が判らない子」がいるだけです。
ですが、学問の世界には本物の天才が若い頃から居る場合も多く在ります。それは「勉強ができるように見える子」ではなく、「本物の天才」です。若い頃から人生で行った学問の業績が結果として証明します。これが本物の成果主義です。
昔の江戸時代の寺小屋では、年齢の制約は無く、向学心だけで、自己研鑽を目的として、学びました。この態度は、現在の生涯学習や、リカレント教育、リスキリングでも同様に必要とされます。
インドの数学の教育には、現在の日本の問題を解決する可能性を感じています。数学には鉛筆と紙だけあれば良いとの数学者の至言が在りますが。インドでは、ベンも紙も使わず、口頭で、教育をしている場面をテレビ番組で見ました。
では、今日は、この辺りで筆を置きましょう。