謝辞。  構造主義社会学は、若かりし頃の私が、判らなかった「社会」であり「世界」を読み解くために、ソシュール記号論から発展した形での構造主義とを採用している。  この構想自体は、二十代前半の頃には、漠然と、社会学に構造主義を本格的に持ち込めば完成すると、考えていたが。名前だけは「構造主義社会学」と決まっていたが、内容は、五里霧中という惨憺たる状態であった。  自由主義や、社会主義の古典と呼ばれる文献にも、部分的に、触れたが、当時の浅薄な私の知識では、その本質的な構造を捉えることができなかった。  当時は、日本のソシュール研究の泰斗である、小林英夫先生の岩波書店「ソシュール一般言語学講義」を読んでも、読み解く力はなかった。もっぱら、日本のソシュール研究の泰斗である丸山圭三郎先生編の大修館書店「ソシュール小辞典」で、ソシュール記号学のエッセンスを明確に定義づけされた、ランガージュ、ラング、パロール、シーニュなどの主要な概念を、学んだ。  当時の私が、一般論と呼ぶべき、社会学への構造主義の導入である、構造主義社会学の完成に関して、一定の勝算が在ったことは、先行研究が在ったからである。  だが、そこから、社会の構造、世界の文明と文化を一般的に読み解く事を目的とした、一般化を目指した構造主義社会学の完成へ向かっては全然進めない状況が続いてた。  そして月日が流れた。ある時に、突然、氷解する形で、構造主義社会学は完成した。  氷解と呼ぶよりも、別々に個別の形で完成していた、アイデアが一つに結び付いたと表現することが妥当であった。  その時には何の感動も無かったことが印象に残っている。  ただ、日常生活を続けながら、構造主義社会学の全体像が完成した事を理解しただけだった。  ここに「構造主義社会学」のパンフレットを上梓できる喜びと共に、ソシュールから連なる、記号論、構造主義の先達たちへ感謝を述べ、この謝辞としたい。                                2025年09月01日針屋忠道 テーマ「国際共生への構造主義社会学PERT1ソシュール記号学のランガージュと国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  今回から開始する全15回シリーズの「国際共生への構造主義社会学」では、標準的な記号論を用いて、国際共生を目指すための理論的な枠組みを論じていく。  全15回シリーズの、前半は標準的な記号論を使った構造主義社会学の説明で在り。後半は応用として標準的な記号論を用いて、実際の人類の抱える問題を客観的な視点から事例研究単位での解決案を目指していく構成となっている。  今回の内容は、 1、生物としての人類とランガージュ。 2、人類の人体を構成する細胞から構成される人体の共通性。 3、共通性と同時に差異が生じるランガージュ。  である。 1、「生物としての人類とランガージュ」  人類は生物学的には真核生物である。「人類」はヒトゲノムから保証される一定の範囲内で、生物学的には人間は均質であると考えられる。  スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)を人類が操る、普遍的な言語能力、抽象化能力、カテゴリー化能力などを「ランガージュ」と定義した。  人類は言語(=記号、国民国家の文化)操ることが可能な生物である。この人類の言語を操る能力は、「ランガージュ」としての普遍性が在る。  だが、この普遍性を持った「ランガージュ」は、次回で説明する、「ラング(世界各国の個別の言語であり、世界各国の文化)」として存在し、次々回で説明する「パロール(人類1人1人の人生の経験として生じる個人単位での認識)」として存在する。 2、「人類の細胞から構成される人体の共通性」  人類は、真核生物である。この意味では、人類の平等性は、真核生物のDNAであるヒトゲノムの共通性として保証される。  だが、実際には、人類は、ヒトゲノムの中でも、在る程度のバラツキが存在する。この事実は、生物という真核生物は、DNAで絶えず、変化が生じることで進化を行ってきている事に基づく。  全てに於いて完璧な「標準的な人類」という概念は、全体主義へと通じる危険な思考である。バラツキのあるヒトゲノムを持った人類の1人1人が協力することで、人類の文明は今後発展を続けていくと考えられる。 3、共通性と同時に差異が生じるランガージュ。  人類は、生物学的には、全ての異なる文化。より具体的には、外国の文化を、普遍的な理解力としての、「ランガージュ」として理解する事が可能である。だが、次回説明する「ラング」で、詳しく説明するように、「自由主義」「民主主義」などの普遍的な概念は、全世界の人達は「ランガージュ」によって理解できる。だが、全世界の各国家単位では、異なる歴史認識を「ラング」として持っている。そして「ラング」により規定される形で、全世界の人類全ての1人1人の、個人の体験であり人生である「パロール」の認識が成立する。  「自由主義」や「民主主義」などの普遍的な概念は、人類の普遍的な言語能力、抽象化能力、カテゴリー化能力などに基づく「ランガージュ」としては理解できても、理解の内容が文化のレベルである「ラング」や、個人の人生のレベルである「パロール」では異なる状態や差異が生じる。  この問題の解決案を「国際共生への構造主義社会学」では探求していく目的がある。  「針屋商店」の企業活動の79回目です。   次回は「PERT2ソシュール記号学のラングと国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「国際共生への構造主義社会学PERT2ソシュール記号学のラングと国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、 1、言語で在り、国民国家の文化である「ラング」。 2、構造主義社会学が提示する「ラング」の3階層。  である。 1、「言語で在り、国民国家の文化であるラング」  スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)、母国語を、そして国民国家の公用語を「ラング」とした。「ラング」は世界各国の文化としての社会制度、そのものでもある。  前回の「ランガージュ」は、人類の言語(=記号)を人類が操る、普遍的な言語能力、抽象化能力、カテゴリー化能力などであった。  だが、「ラング」は、具体的な、世界各国の個別の言語で在り、世界各国の個別の文化そのものであると説明する事が可能である。  「ランガージュ」の普遍的な言語能力のレベル。「ラング」の個別の文化としての言語のレベル。「パロール」の人類1人1人の人生の経験として生じる個人単位での認識のレベル。  「ラング」である文化への、言語からの変化の過程を説明する。「パロール」である国民国家の成員の1人1人の言語から、「ラング」である文化に影響を与える。その文化としての言語の変化は、世界各国の「ラング」として再び、国民国家を構成する成員の1人1人の「パロール」の認識に影響を与えていく。  次々回の「共時態と通時態」の説明で、より議論を深める形で「ラング」と「パロール」の関係は論じていく。 2、「構造主義社会学が提示するラングの3階層」  社会学の構造主義として、ソシュールの「ランガージュ」「ラング」「パロール」の概念を考え居ていく上で、使いづらい面が在るはずで在る。  この理由から、構造主義社会学では、国民国家の言語であり文化である「ラング」に三段階の階層を設ける。  2-1,「文明としての「ラング」」  この階層の「ラング」は「ランガージュ」に近い形の普遍性を持った文明である。現在の科学的な思考や、世界的に普遍性のある宗教や思想などに基づく、人類の多くが理解できる概念であり「自由主義」や「民主主義」などの普遍性のある概念が、含まれる。 2-2,「国民国家の文化としての「ラング」」  この階層の「ラング」は、世界各国の言語であり、文化である。基本的には世界各国の中で主流派の文化を示す。言語であり文化である「ラング」は「シーニュ」と呼ばれる、「表現「シニフィアン」と意味「シニフィエ」」が組み合わさっている。このため、「自由主義」や「民主主義」という普遍性の在る、「ランガージュ」に近い形の普遍性を持った概念でも。世界各国の異なる言語であり文化である「ラング」の言語としての表現形式が「シニフィアン」として共通であっても、「意味」である「シニフィエ」が文化の違いから、異なる状況が生じる。   通常は「文化の違いから「自由主義」や「民主主義」が理解されない」と呼ばれる状況が成立する。  2-3,「国民国家の成員1人1人の文化としての「ラング」」  この階層の「ラング」は、「パロール」に近い形を持った、世界各国の主流派の文化に加えて、サブカルチャーや大衆文化などと呼ばれる、国民国家を形成する、国民一人一人の人生の経験として生じる個人単位での認識である「パロール」に近い水準での「ラング」である。同じ国の、国民であっても、世代によって、異なる認識を持つ状態は、次々回で説明を行う「共時態と通時態」による「シーニュ」の違いから説明が可能である。  通常の国民国家では、主流派の文化と非主流派の文化が、存在する。政治の文化だけでなく、様々な芸術などの分野でも主流派の文化と非主流派の文化が存在する。  社会科学ではパラダイムと呼ばれる、「共時態」の中での知的な認識の枠組みとして「主流派の文化のラング」、「非主流派の文化のラング」が、パロールを構成する、国民国家の成員の1人1人の中で濃淡が在りながら存在する。 「針屋商店」の企業活動の80回目です。   次回は「PERT3ソシュール記号学のパロールと国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「国際共生への構造主義社会学PERT3ソシュール記号学のパロールと国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、 1、個人の人生の経験である「パロール」。 2、個人の人生の経験である「パロール」が、国民国家の文化である「ラング」に変化を及ぼす過程。  である。 1、「個人の人生の経験であるパロール」   スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)と、母国語、そして国民国家の公用語に基づく「個人1人1人」の認識を「パロール」とした。  世界に存在する、国民国家を形成する、国民1人1人の人生の経験として生じる個人単位の認識である「パロール」。この、国民1人1人の「パロール」は、「ラング」である国民国家の言語、文化である社会制度によって認識が成立している。  前回では、「ラング」を三段階の階層に、構造主義社会学では階層を設けて分類する事を示した。   心理学の、実験や、統計に基づくデータサイエンスでは、世界の人間の、1人1人の人生の経験である「パロール」から、世界各国の「ラング」を越えて共通する、普遍性の在る人間の心理や行動を導き出そうとする。  この心理学の、実験や、統計に基づくデータサイエンスでは、  a、「パロール」に対して行われる、心理学の、実験や、統計に基づくデータサイエンスから、「ランガージュ」のレベルでの普遍性を持った人間の心理や行動を導き出す場合。  b、「パロール」に対して行われる、心理学の、実験や、統計に基づくデータサイエンスから、前回三段階の階層に分類した「文明としての「ラング」」である「ランガージュ」に近い形の普遍性を持った人間の心理や行動を導き出す事を目的とする場合。  社会学の、実験や、統計に基づくデータサイエンスでは、「パロール」から「国民国家の文化としての「ラング」」、「国民国家の成員1人1人の文化としての「ラング」(主流派の文化だけでなく、非主流派の文化であるサブカルチャーや大衆文化も含まれる)」の法則性を求める場合も多い。 2、「個人の人生の経験である「パロール」が、国民国家の文化である「ラング」に変化を及ぼす過程」  前回の議論に「通時態と共時態」の概念を加える。  世界各国の国民国家に所属する、個人1人1人の認識である「パロール」は、世界各国の言語で在り、文化としての「ラング」である社会制度を、個人が認識を行う事によって成立する。  「通時態」として過去から現在に続く時間軸の中の、世界各国の歴史の中に於いて。現在の時点としての「共時態」の中で、「パロール」が「ラング」に対して変化を及ぼしていく過程である。  前回述べた「パロール」から「ラング」への、「シーニュ」の変化の発生が時間軸である「通時態」を通して、過去から(短期間の場合と長期間の場合が在る)現在の「共時態」の「ラング」に影響を与える。そして「シーニュ」の変化が生じた「ラング」は再び「パロール」に対して、「通時態」としての未来に変化を及ぼしていく。  だが、「共時態」に関しては、必ずしも、「現在」に固定される考え方では無い。  次回、より詳しく説明する「通時態と共時態」では、世界各国の歴史である「通時態」の中で、一定の時期を「共時態」として区切る方法も可能である。例を出せばインターネットが一気に普及した1990年代から2000年代などを「共時態」として分類することも可能である。  「自由主義」や「民主主義」が世界に普及していく目的の達成には、世界各国の国民の1人1人の「パロール」が変化する状態が必要である。前回の議論で語ったように、「シーニュ」の「意味」である「シニフィエ」が、国民1人1人の「パロール」のレベルで変化する状態が必要である。その結果として「自由主義」や「民主主義」の普及が遅れている国々の、言語で在り、文化である「ラング」の、社会制度の「シニフィエ」が変化していく状態が求められる。  「針屋商店」の企業活動の81回目です。  次回は「PERT4ソシュール記号学の通時態と共時態、国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「PERT4ソシュール記号学の通時態と共時態、国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、 1、「ラング」と「パロール」の時間軸の中での変化としての「通時態と共時態」。 2、「通時態と共時態」によって。世代間によって差異が生じる「ラング」と「パロール」の「シーニュ」と、世代を通した「ラング」と「パロール」の同一性を保証する「コード」。  である。 1、「「ラング」と「パロール」の時間軸の中での変化としての「通時態と共時態」」  スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)と、母国語、そして国民国家の公用語に基づく「ラング」と、個人1人1人の認識である「パロール」の時間軸上の変化に対して、動学的な「通時態」と静学的な「共時態」の概念を提示した。前回述べたように、「ラング」と「パロール」は歴史である時間軸としての「通時態」の中で、現在や年代としての「共時態」として存在する。  ソシュールは、一定期間の言語を「共時言語学」、時間軸上の言語の変化を「通時言語学」と定義している。  今までの議論で述べてきたように、「ラング」と「パロール」には、表現と意味を合わせた概念である「シーニュ」が存在する。「シーニュ」を構成する、表現である「シニフィアン」と、意味である「シニフィエ」の変化は、世界各国の国民国家の文化である「ラング」と、国民1人1人の認識である「パロール」の変化である。  時間軸上に存在する、世界各国の歴史の中で、時間軸としての「通時態」と、歴史の各時点での「共時態」が存在する。 2、「「通時態と共時態」によって。世代間によって差異が生じる「ラング」と「パロール」の「シーニュ」と、世代を通した「ラング」と「パロール」の同一性を保証する「コード」」  2-1、世界各国の文化である「ラング」と「パロール」の中で、「世代間に生じる考え方の違い」と呼ばれる現象の説明を行う。「通時態」としての世界各国の歴史である時間軸の中で、文化である「ラング」の、表現である「シニフィアン」と、意味である「シニフィエ」に変化が生じる事によって「世代間に生じる考え方の違い」と呼ばれる現象が生じる。「共時態」として同じ時間を生きている、世界各国の文化である「ラング」と、国民1人1の「パロール」に、「通時態」として過去から現在の歴史の中で「シーニュ」の変化が生じる結果として、世代間に考え方の違いが生じる。  世代ごとに区分する。年齢が高い世代の1人1人が経験して「パロール」を構成している認識。年齢が低い世代の1人1人は経験を行っていない事に基づく認識。この認識の違いが国民1人1人の人生の経験である認識としての「パロール」に存在する事に基づき、「シーニュ」を構成する、表現である「シニフィアン」が共通でも、意味である「シニフィエ」が異なるという状態が存在する。具体的な例を示せば、表現としての「自由主義」や「民主主義」は世代間を越えて共通でも、「自由主義」「民主主義」の意味が世代間で異なる現象が生じる。  2-2、だが、世界各国の歴史である、「通時態」の中で、変化しない「ラング」と「パロール」も存在する。  今回は詳述しないが、世界各国の国民国家の「通時態」としての歴史の時間軸上には「コード」が存在する。この「コード」の概念は、フランスの天才哲学者、記号学者であるロラン・バルトが、著書「モードの体系」で提示した、重要な概念である。  世界各国の国民国家の文化である「ラング」の中で、時代を超えて共通する「アメリカ人らしさ」「日本人らしさ」などと呼ばれる国民性を構成する「コード」が存在する。  過去から現在に続く「通時態」の中でも、変化が生じない世界各国の国民国家の文化である「ラング」の中に存在する「コード」が、世界各国の文化の世代間を越えた同一性を保証する。  「コード」による、世界各国の文化である「ラング」の同一性により、国民1人1人の「パロール」も「コード」の存在により同一性が保証される。  「自由主義」「民主主義」の普及が遅れた国家を考えた場合。「自由主義」と「民主主義」を受け入れる前提として、意味である「シニフィエ」の変化が、「通時態」の中に存在する「コード」と相反する関係にならないように配慮を行う事が考えられる。  「針屋商店」の企業活動の82回目です。  次回は「PERT5ソシュール記号学のシーニュ、シニフィエ、シニフィアンと、国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「PERT5ソシュール記号学のシーニュ、シニフィエ、シニフィアンと、国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、 1、「シーニュ」を構成する「シニフィエ」と「シニフィアン」。 2、「通時態」の中で起こる、「シーニュ」を構成する「シニフィエ」と「シニフィアン」の「共時態」の中での変化。  である。 1、「「シーニュ」を構成する「シニフィエ」と「シニフィアン」」 スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)と、母国語、そして国民国家の公用語に基づく文化である「ラング」と、個人1人1人の認識である「パロール」を定義した。ソシュールは、この「ラング」と「パロール」を構成する、表現と意味を合わせた概念として「シーニュ」を定義した。「シーニュ」は、「シニフィアン」である表現と、「シニフィエ」である意味、を合わせた概念である。  「シーニュ」を構成する、表現である「シニフィアン」と、意味である「シニフィエ」は、互いに必要とされる。一定の形式で定義すれば、「表現なくして意味は存在しない」、その逆の「意味なくして表現は存在しない」。この、2つの命題が同時に真となる。数学的に同値と考える事も出来る。だが、表現である「シニフィアン」と、意味である「シニフィエ」は、数値や命題で行われる「=」である等号を用いた表現とは異なる点に留意が必要である 2、「「通時態」の中で起こる、「シーニュ」を構成する「シニフィエ」と「シニフィアン」の「共時態」の中での変化」  前回で議論したように、「シーニュ」を構成する、表現である「シニフィアン」は同じ状態でも、意味である「シニフィエ」が、時間軸である「通時態」の中で変化が生じていく状態が発生する。  逆に、「シーニュ」を構成する、表現である「シニフィアン」に変化が生じ、意味である「シニフィエ」が、時間軸である「通時態」の中で変化が(前回説明した「コード」の存在に基づき)、ほぼ生じない状態も在る。  実例を出す。「自由主義」の、意味としての「シニフィエ」を例に出した場合。「自由主義」は以前は「リベラル」と発音と表記が行われる、表現である「シニフィアン」だったが、現在の、表現である「シニフィアン」では、「リバタリアン」と発音と表記が行われる。「リベラル」と「リバタリアン」という概念は、意味としての「シニフィエ」は、ほぼ同じであるが、表現である「シニフィアン」は、大きく変化している。  今回は詳述しないが、国民国家の言語で在り文化である「ラング」は、「シーニュ」を構成する、表現である「シニフィアン」と、意味である「シニフィエ」が、他の国の、国民国家の言語で在り文化である「ラング」から、相互に影響を与え、影響を受ける状態が存在する。  具体的に説明を行う。世界各国の歴史である「通時態」を通して、現在や過去の一定の時代である「共時態」の中で、国民国家の言語や文化である「ラング」に、相互に影響を与え、影響を受ける状態が存在する。  現在の世界各国の言語で在り文化である「ラング」は、全世界がインターネットで繋がった情報革命以降の時代に「共時態」が存在する。この前提から世界各国の国民国家の言語で在り、文化、社会制度である「ラング」の影響を受ける。この状態の結果、世界各国の言語で在り、文化、社会制度である「ラング」の「シーニュ」に変化をもたらす。世界各国の国民国家の言語で在り、文化、社会制度の「シーニュ」の変化とは、表現としての「シニフィアン」と、意味としての「シニフィエ」の変化である。  「自由主義」や「民主主義」の普及が遅れている国では、「ラング」としての文化や社会制度の「シーニュ」への変化が生じる可能性を考える結果。外国の「ラング」からの、自国の「ラング」への干渉と考え、過度に拒否する状態が考えられる。この場合では、「自由主義」や「民主主義」が、「ランガージュ」に近い、普遍性のある文明の「ラング」である事実に理解を促す必要が在ると考えられる。  「針屋商店」の企業活動の83回目です。  次回は「PERT6ソシュール記号学のラングを体系として捉える視点と、国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「PERT6ソシュール記号学のラングを体系として捉える視点と、国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、 1、世界各国の言語で在り、文化、社会制度である「ラング」を、個々の「要素」の「集合」である「体系」として捉える視点。 2、「体系」である「集合」を構成する「要素」が相互に与える影響。  である。 1、「世界各国の言語で在り、文化、社会制度である「ラング」を、個々の「要素」の「集合」である「体系」として捉える視点」  スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)と、母国語、そして国民国家の公用語に基づく文化である「ラング」を、共時言語学の「共時態」に於いて、個々の「要素」の「集合」である「体系」として捉える視点を提示した。  ソシュールの提示した「体系」は、世界各国の言語であり、文化、社会制度である「共時態」の「体系(=ラング)」が、時間軸上の世界各国の歴史である「通時態」として、「体系(=ラング)」の「表現と意味である「シーニュ」」に変化が生じる。  だが、世界各国の、言語で在り、文化、社会制度である「体系(=ラング)」を構成する「要素」は「コード」の存在に基づき、「シーニュ」の変化は、「表現としてのシニフィアン」の変化が生じても「意味としてのシニフィエ」の変化が生じない場合も多く在る。逆に、「意味としてのシニフィエ」の変化が生じても「表現としてのシニフィアン」に変化が生じない場合も多く在る。  だが、前回で説明したように、基本的には、世界各国の国民性と表現される「アメリカ人らしさ」「日本人らしさ」などの、主流派の文化としての「要素」の「集合」である「体系(=ラング)」は、「コード」の存在により、「ラング」の三段階の階層の第2である「国民国家の文化としての「ラング(=体系)」」上での変化は生じない場合が多い。 2、「「体系」である「集合」を構成する「要素」が相互に与える影響」  2-1、統合関係。  「顕在」としての「統合関係」は、「体系(=ラング)」を構成する「要素」の「シーニュ」は、全て、他の「要素」の「シーニュ」からの「関係(リレーション)」の影響を受ける。「統合」は2個以上の「要素」から成立する。  世界各国の言語で在り、文化、社会制度である「集合」としての「体系(=ラング)」を構成する「要素」としての「シーニュ」は、「統合」に基づき、他の「要素」の「シーニュ」と、決められた「関係(リレーション)」で結びつく。  例として「自由主義」や「民主主義」が普及している国では、「統合関係」に基づき「顕在」としての社会制度である「自由主義」や「民主主義」に「価値」が生じる。  2-2、連合関係。  「潜在」としての「連合関係」は、「ラング」である世界各国の言語、文化、社会制度、を構成する個人1人1人の認識である「パロール」の変化が生じる過程である。「体系(=ラング)」である「集合」の中で「要素」は、個人個人を構成する「パロール」の中で、「要素」が他の「要素」との間に生じる「関係(リレーション)」の影響により、「シーニュ」の変化を「要素」単位で生じさせる。  「自由主義」「民主主義」の普及を考えた場合。  「集合」である「体系(=ラング)」を構成する「要素」は互いに影響を与える。世界各国の言語で在り、文化であり、社会制度である、「集合」としての「体系(=ラング)」の中で、「自由主義」という「要素」と、「社会主義」という「要素」は、相互に影響を与えている。  同様に「要素」としての「自由主義」「民主主義」は、他の様々な「要素」との「関係(リレーション)」に基づき、「世界各国の「体系(=ラング)」の中で、「表現と意味であるシーニュ」が「共時態」として理解される。  「自由主義」「民主主義」の普及が遅れている国々の「体系(=ラング)」である「顕在」としての「統合関係」に、変化を起こすためには。「潜在」である「連合関係」の個人1人1人の「パロール」の中で、「要素」としての「自由主義」「民主主義」の「表現と意味であるシーニュ」の変化が求められると考えられる。  「針屋商店」の企業活動の84回目です。  次回は「PERT7ソシュール記号学のラングの3階層と、ロラン・バルトのコード1「ランガージュに近いラング」、国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「PERT7ソシュール記号学のラングの3階層と、ロラン・バルトのコード1「文明としてのランガージュに近いラング」、国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、  1、「文明としての「ランガージュ」に近い「ラング」」への、ロラン・バルトの「コード」の組み込み。  2、「文明としての「ラング」の「体系」」と、「コード」。  である。 1、「「文明としての「ランガージュ」に近い「ラング」」への、ロラン・バルトの「コード」の組み込み」  スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)と、母国語、そして国民国家の公用語に基づく文化である「ラング」の概念を提示した。 「コード」の概念は、フランスの天才哲学者、記号学者であるロラン・バルトが、著書「モードの体系」で提示した、重要な概念である。  「コード」の概念をソシュール記号学の「ラング」に適用する場合。構造主義社会学では、「ラング」の概念を扱いやすくする為に、三段階の階層を「ラング(=体系)」に設けている。今回は、「文明としての「ランガージュ」に近い「ラング」」を論じていく。  文明とは、現在の科学的な思考や、世界的に普遍性のある宗教や思想などである。この文明を「通時態」として、世界の人類全ての歴史を考える場合。「世界史」を「コード」として理解する事が必要で在ると考えられる。「世界史」は「通時態」として過去から、現在の2024年の「共時態」に繋がっている。   人類は「言語(=記号)」を使う、唯一の地球上の生物である。現在、賛否両論に分かれる世界のグローバル化であるが、情報革命以降の時代を生きている現在の人類は、普遍的な、文明の発達を行い続けている。文明の発達とは、科学の発達で在り、科学を構成する、自然科学、人文科学、社会科学の発達である。それは現在の「共時態」を生きる、地球上の全ての人類人一人の認識である「パロール」が「ラング」への変化を促している。  1-1,「「ランガージュ」に近い「ラング」」の「コード」としての「世界史」は、人類の普遍的な言語能力である、記号を扱う能力である「ランガージュ」に基づいている。  1-2,「文明である「ランガージュ」に近い「ラング」」の「コード」は、「言語で在り、国民国家の文化である「ラング」」の「コード」に影響を与える。  1-3,「国民国家の成員1人1人の文化としての「パロール」に近い「ラング」」の「コード」は、国民国家の成員である「個人1人1人」の認識である「パロール」に影響を与える。 2、「「文明としての「ラング」」の「体系」と、「コード」」  普遍性のある「文明としての「ラング」」の「体系」も、前回の議論で述べたように、国民国家の言語で在り文化である「ラング」は「体系(=ラング)」として「顕在」としての「統合関係」を持つ。  だが、この「体系(=ラング)の集合」は「顕在」である。「潜在」である「パロールの要素」の「連合関係」の変化が生じた結果。「「潜在」であるパロールの個人1人1人の認識の要素」から「「顕在」である「体系(=ラング)」の集合」へと変化が生じる過程を前回では説明した。  構造主義社会学では、「ラング」を三段階の階層に分類するが、「文明である「ランガージュ」に近い「ラング」」の「コード」の中には、人類の普遍性へ向かう「コード」が在ると考えられる。  順を追って説明すると、「個人1人1人」の認識である「パロール」」から。次に「国民国家の成員1人1人の文化としての「パロール」に近い「ラング」」へ階層が移動し。次に「言語で在り、国民国家の文化である「ラング」」に階層が移動し。到達点としての「文明である「ランガージュ」に近い「ラング」の普遍性がある「コード」」へ向かうと考えられる。  この構造主義社会学で、三段階の階層に分類した、「体系(=ラング)」の各階層ごとに、「「顕在」としての「統合関係」」と、「「潜在」としての「連合関係」」が存在すると考えられる。  だが、「コード」の存在により、人類の「文明である「ランガージュ」に近い「ラング(=体系)」」は、普遍性へ向かうと考えられる。  「自由主義」や「民主主義」のような、普遍性のある概念の普及を考えた場合。人類は、「「顕在」としての「統合関係」である「ラング(=体系)」」と、「「潜在」としての「連合関係」である「パロール」」が、「コード」の存在により、普遍性である「ランガージュ」へと向かうと考えられる。  「針屋商店」の企業活動の85回目です。  次回は「PERT8ソシュール記号学のラングの3階層と、ロラン・バルトのコード2「国民国家の文化としてのラング」、国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「PERT8ソシュール記号学のラングの3階層と、ロラン・バルトのコード2「国民国家の文化としてのラング」、国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、  1、「国民国家の文化としてのラング」への、ロラン・バルトの「コード」の組み込み。  2、「国民国家の主流派の文化としての「「ラング」の「体系」」と、「コード」。  である。 1、「「国民国家の文化としてのラング」への、ロラン・バルトの「コード」の組み込み」  スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)と、母国語、そして国民国家の公用語に基づく文化である「ラング」の概念を提示した。 「コード」の概念は、フランスの天才哲学者、記号学者であるロラン・バルトが、著書「モードの体系」で提示した、重要な概念である。  「コード」の概念をソシュール記号学の「ラング」に適用する場合。構造主義社会学では、「ラング」の概念を扱いやすくする為に、三段階の階層を「ラング(=体系)」に設けている。今回は、中間の階層に位置する「国民国家の文化としての「ラング」」を論じていく。  国民国家の言語で在り文化、社会制度である「ラング(=体系)」を、世界各国の主流派の文化、社会制度で在ると、「表現と意味である「シーニュ」」を用いて定義する。この主流派としての言語で在り、文化であり、社会制度である、「国民国家の文化としての「ラング(=体系)」」は、世界各国の国民の考え方を、規定する事になる。  具体的には、「アメリカ人的な考え方」「日本人的な考え方」などの、世界各国の国民の考え方の、「体系(=ラング)」の「「顕在」としての「統合関係」」として表現される。だが、この「体系(=ラング)」の「「顕在」としての「統合関係」」の変化は、国民国家の成員である「「個人1人1人」の認識である「パロール」」の「「潜在」としての「連合関係」」から変化が生じる場合がある。  だが、この、「「個人1人1人」の認識である「パロール」」の変化である、「「潜在」としての「連合関係」」の変化は、「国民国家の文化としての「ラング」」の中に、歴史である「通時態」を通して、現在の2024年の「共時態」まで続く、「コード」が存在するため、極端な変化は「国民国家の文化としての「ラング(=体系)」」の「「顕在」としての「統合関係」」には生じない場合が多い。「表現と意味である「シーニュ」」を構成する、「表現である「シニフィアン」」と「意味である「シニフィエ」」の双方の変化は、世界各国の国民国家の中に存在する、歴史である「通時態」として過去から続く「コード」の影響を受ける。 2、「国民国家の主流派の文化としての「「ラング」の「体系」」と、「コード」」  現在の、2024年の世界は情報革命以降の時代である。グローバル化と、インターネットがスマートフォンの普及で世界の多く人達が使えるようになった。  この結果、世界の各国の、国民国家の言語で在り文化、社会制度である「ラング(=体系)」には、外国からの異なる「ラング(=体系)」である文化、社会制度の流入に基づいて、「コンフリクト(対立)」が生じる場合がある。  国民国家の言語で在り文化、社会制度である「ラング(=体系)」の中に、外国からの異なる「ラング(=体系)」の「集合の要素」が流入する場合。「コンフリクト(対立)」が発生する場合と、発生しない場合が在る。  1、「国民国家の文化、社会制度である「体系(=ラング)」に存在する主流派の「コード」と、外国の異なる「体系(=ラング)」の「集合の要素」が、相互に受け入れられない形で、「コンフリクト(対立)」が発生する場合。  2、「国民国家の文化、社会制度である「体系(=ラング)」に存在する主流派の「コード」と、外国の異なる「体系(=ラング)」の「集合の要素」が、相互に受け入れ可能な形で、「コンフリクト(対立)」が発生しない場合。  「自由主義」や「民主主義」の普及を考えた場合。「自由主義」や「民主主義」の普及が遅れている国々では、それらの国々の国民国家の文化、社会制度が持っている「コード」と、「自由主義」や「民主主義」の考え方の間に「コンフリクト(対立)」が生じている可能性を考える必要が在ると思われる。  だが、「自由主義」や「民主主義」は、「文明である、ランガージュに近い「ラング」」の普遍的な考え方であるため、「自由主義」や「民主主義」の普及が遅れている国々でも、「個人1人1人の認識である「パロール」」の「「潜在」としての「連合関係」」の変化は可能であると考えられる。  「針屋商店」の企業活動の86回目です。  次回は「PERT9ソシュール記号学のラングの3階層と、ロラン・バルトのコード3「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」、国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「PERT9ソシュール記号学のラングの3階層と、ロラン・バルトのコード3「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、  1、「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」への、ロラン・バルトの「コード」の組み込み。  2、国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」の「体系」と、「パロール」に影響を与える「コード」。 1、「「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」への、ロラン・バルトの「コード」の組み込み」  スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)と、母国語、そして国民国家の公用語に基づく文化である「ラング」の概念を提示した。 「コード」の概念は、フランスの天才哲学者、記号学者であるロラン・バルトが、著書「モードの体系」で提示した、重要な概念である。  「コード」の概念をソシュール記号学の「ラング」に適用する場合。構造主義社会学では、「ラング」の概念を扱いやすくする為に、三段階の階層を「ラング(=体系)」に設けている。今回は、第三の階層に位置する「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」を論じていく。  国民国家の言語で在り文化、社会制度である「ラング(=体系)」の「「集合」の「要素」」として、主流派の文化と、非主流派の文化であるサブカルチャーや大衆文化が、「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」の階層では混在している。  これらの文化の「要素」を、同位に並ぶとする「並列」として考えた場合。「多文化主義」の考え方も存在する。  だが、現実的には「文化多元主義」の考え方が、世界各国の社会制度を維持し、発展させる目的では重要で在る。  世界各国の国民国家の言語で在り、文化であり、社会制度である、「ラング(=体系)」には「コード」が存在する事に基づき。社会制度を維持するための主流派の「コード」としての文化が存在する。前回議論した「国民国家の文化としての「ラング」」である。  この世界各国の、国民国家の言語で在り文化、社会制度である「ラング(=体系)」を「集合」と考えた場合。主流派の文化に加えて、非主流派の文化で在るサブカルチャーや大衆文化の全てを「要素」として、「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近い「ラング(=体系)」」の階層が成立して居る。  「体系(=ラング)」の「顕在」としての「統合関係」は、「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」の階層にも存在する。「顕在」としての「統合関係」は、「潜在」としての「連合関係」として、「国民国家の成員1人1人の認識としての「パロール」」に対して直接の形で働きかける。 2、「「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」の「体系」と、「パロール」に影響を与える「コード」」  ここで、「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」の時間軸上の「通時態」に存在する、現在である2024年の「共時態」では、「多文化主義」の問題が、情報革命以降の時代のため存在する。  「多文化主義」の抱える問題は、世界各国の主流派の文化であり社会制度である「国民国家の文化としての「ラング(=集合)」」の中に、「文明としての「ランガージュ」に近い「ラング」」以外の、外国の文化で在り社会制度である、異なる「ラング(=集合)」の「要素」が、「並列」の形で混在する状態である。  この原因に基づき、前回の議論で説明した、「コンフリクト(対立)」が、世界各国の国民の文化で在り社会制度である「ラング(=体系)」の、主流派の「コード」との間に発生する場合がある。  この問題は、情報革命後の時代である現在の2024年では、世界各国の国民は原則的にインターネットに接続できる環境を持っていれば、世界の国々の異なる文化で在り社会制度である「ラング(=体系)」の「「集合」の「要素」である文化」を、「「潜在」としての連合関係」として知る機会が存在する。結果として、現在の2024年の「共時態」では、「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」の中には、世界各国の主流派の文化であり社会制度を維持する「コード」となる「「集合」の「要素」の文化」に加えて、非主流派の文化であるサブカルチャーや大衆文化の中に、外国の異なる文化で在り社会制度である「コード」が含まれた「集合」としての「「ラング(=体系)」の「要素」」が混在する。  この結果として、長期的な時間軸を考えた場合。「自由主義」や「民主主義」のような、普遍的な考え方は、「文明であるランガージュに近い「ラング」」として受け入れられていくと考えられる。文明とは、現在の科学的な思考や、世界的に普遍性のある宗教や思想などである。  だが、普遍的では無い、外国の異なる文化や社会制度に基づく「コード」を含んだ「ラング(=体系)」は、「コンフリクト(対立)」が、前回説明したように発生する場合があると考えられる。  「自由主義」や民主主義」の普及を考えた場合。「自由主義」や「民主主義」の普及が遅れている国々の、文化で在り社会制度である「ラング(=体系)」の変化は。「自由主義」や「民主主義」が、サブカルチャーや大衆文化として、「文化多元主義」の形で、「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近い「ラング(=集合)」」の「要素」として、「自由主義」や「民主主義」が受け入れられる段階から、「自由主義」や「民主主義」の普及が遅れている国々の主流派の「コード」との間に生じる「コンフリクト(対立)」の解消を目指していくべきだと考えられる。  「針屋商店」の企業活動の87回目です。  次回は「PERT10ソシュール記号学の言語地理学と、国際共生への構造主義社会学」です。  今週は、時間に余裕があるため、「針屋商店」のボランティア活動の03回目として、  「日本創生2PERT1象徴天皇制の保守と発展の前提となる、中国、朝鮮半島の人達の誤解と不安の解消を目指す、構造主義社会学を用いた提言」を行います。 テーマ「PERT10ソシュール記号学の言語地理学と、国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、  1、「国民国家の言語であり、文化、社会制度であるラング」の多様性と、異なる「ラング」としてのソシュールの言語地理学に基づく差異。  2、ソシュールの言語地理学に基づく「国民国家内」に於ける複数の文化の共存と、国民国家の社会制度を維持するための「コード」に基づく主流派の文化の必要性。 1、「「国民国家の言語であり、文化、社会制度であるラング」の多様性と、異なる「ラング」としてのソシュールの言語地理学に基づく差異」  スイスの天才言語学者にして、記号学を創設したフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールは、言語(=記号)と、母国語、そして国民国家の公用語に基づく文化である「ラング」の概念を提示した。 「コード」の概念は、フランスの天才哲学者、記号学者であるロラン・バルトが、著書「モードの体系」で提示した、重要な概念である。  ソシュールは、記号学の中で、「言語地理学」の概念を提示した。国民国家の言語であり、文化、社会制度である「ラング」の多様性は、世界各国の国民国家の文化が、多種多様であり、それぞれが、独自の社会制度を維持するために必要な、主流派の文化(=ラング)である「コード」を持っている。  この、世界各国の国民国家の文化の多様性は、「「差異」の「体系(=ラング)」」でもある。  この「差異」が生じる理由は、世界各国の国民国家の言語であり、文化、社会制度である「ラング」の中に存在する、主流派の「コード」の違いに基づく。  今までの議論を纏める体裁をとりながら説明を行う。「共時態」としての現在の2024年の世界各国の、国民国家の言語であり、文化、社会制度である「ラング」は、「通時態」としての世界史の中の、世界各国の歴史である主流派の「コード」の存在によって維持されている。  独自の国民国家の言語であり、文化、社会制度である「ラング(=体系)」を維持するためには、「差異」が必要となる。 2、「ソシュールの言語地理学に基づく「国民国家内」に於ける複数の文化の共存と、国民国家の社会制度を維持するための「コード」に基づく主流派の文化の必要性」  ソシュールの「言語地理学」は、世界各国の国民国家の言語(=記号)であり、文化、社会制度の間に存在する、「差異」を扱うための方法論が主題である。  「文化多元主義」と、「多文化主義」の違いが、ここでも重要となる。  1、「多文化主義」の欠点。国民国家の言語、文化、社会制度を構成する主流派の「コード」が、「並列」に扱われた結果。「コード」が「多文化主義」によって破壊される懸念に対して、過剰なアクションが生じる状態が存在する。  2、「文化多元主義」の利点。だが、「文化多元主義」は、国民国家の文化を構成する主流派の文化である「コード」が存在した状態を維持し。同時に、世界各国の様々な国民国家の言語であり、文化、社会制度(=「ラング」であり「集合」)の「要素」を取り込むことで自国の「ラング」である言語、文化、社会制度を発展させる考え方である。  「自由主義」や「民主主義」の普及を考えた場合。「多文化主義」的な考え方で、「自由主義」や「民主主義」の普及を目指す場合では「自由主義」や「民主主義」の普及の遅れている国々の、言語、文化、社会制度を維持する主流派の「コード」と抵触する可能性がある。結果として、国民国家の言語であり、文化、社会制度である「ラング」の中に存在する、主流派の「コード」の「差異」を維持するために過剰なアクションが生じる可能性がある。  この問題の解決案を考えた場合。「自由主義」や「民主主義」の普及が遅れている国々の「コード」が、どのような「「差異」の「体系(=ラング)」」を持っているのかを分析し。「文明であるランガージュに近い「ラング」」としての「自由主義」や「民主主義」の普遍性への理解を促す必要があると考えられる。  「針屋商店」の企業活動の88回目です。  次回から、PERT10までの内容を踏まえて、予定通りに後半の11回から15回まで事例研究を行います。 次回は「PERT11女性と男性の対立の、現状での妥協点を目指す国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「PERT11女性と男性の対立の、現状での妥協点を目指す国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、 1、構造主義社会学の視点から、国民国家の言語で在り、文化、社会制度である「ラング(=集合)」の中で「女性の部分集合」と「男性の部分集合」の分類。 2、ジェンダーバイアスを考えていく上で、なぜ女性が不満を感じ、なぜ男性も不満を感じるのか。{ランガージュ」に基づく「言語」を使う事が出来る、人間で在る女性と男性の平等性。と、現状での課題とリカレント教育の必要性。 3、外国の文化の影響から脱却した、女性の社会進出と権利獲得、男性が納得する女性の社会進出と権利獲得の考察。  である。 1、「構造主義社会学の視点から、国民国家の言語で在り、文化、社会制度である「ラング(=集合)」の中で「女性の部分集合」と「男性の部分集合」の分類」  構造主義社会学では、国民国家の言語で在り、文化、社会制度である「ラング」を三階層に分類する。そして国民国家の「ラング(=集合)」の中には、主流派の文化である「コード」、非主流派の文化であるサブカルチャーや大衆文化が「要素」や「部分集合」として存在する。  ソシュールの原義的な「ラング」の概念で、国民国家を成立させる社会制度としての「コード」の概念を導入せずに考えた場合。国民国家の言語で在り、文化、社会制度である「ラング(=集合)」は、三つの類型に分類が可能で在る。  1、「女性の「ラング(=文化)」と呼ばれる「部分集合」」。  2、「男性の「ラング(=文化)」と呼ばれる「部分集合」」。  3、「「女性の「ラング(=文化)」と「男性の「ラング(=文化)」の「共通部分」」。 である。  通常のジェンターバイアスと呼ばれ批判されている、世界各国の国民国家の言語であり、文化、社会制度の中での「女性の果たす役割」「男性の果たす役割」を固定的に考える場合。このように成立している。  アメリカで始まった1960年代からのウーマンリブ(女性解放運動)は、世界各国の国民国家の言語で在り、文化、社会制度の中で「女性の「ラング(=文化)」の「部分集合」」と「男性の「ラング(=文化)」の部分集合」」の「共通部分」を増やしていく社会的な運動で在る。  ここに、国民国家の主流派の文化で在る「コード」の概念を加える。  構造主義社会学の三階層に分類される「ラング」を確認の為に掲載する。  1、「文明であるランガージュに近い「ラング」」  2、「国民国家の文化としての「ラング」」  3、「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近い「ラング」」  「コード」の概念は、国民国家の主流派の文化で在る「要素」、「部分集合」である。  この世界各国の国民国家の社会制度しての「ラング」の中で主流派の文化である「コード」は、「2、「国民国家の文化としての「ラング」」」、「3、「国民国家の成員1人1人の文化としてのパロールに近いラング」」」の中で、世界各国の多くの国民国家の中では、主流派の文化で在る「男性の「ラング(=文化)」の中に「女性の「ラング(=文化)」が下位の形で「「真理集合」としての「包含関係」」に在る場合が多い。 2、「ジェンダーバイアスを考えていく上で、なぜ女性が不満を感じ、なぜ男性も不満を感じるのか。「ランガージュ」に基づく「言語」を使う事が出来る、人間で在る女性と男性の平等性。と、現状での課題とリカレント教育の必要性」  構造主義社会学の視点から、ジェンダーバイアスを考えていく場合、  2-1,「女性側の不満」。伝統的なジェンダーロールと呼ばれる「女性の役割」である「女性の「ラング(=文化)」」が、「男性の役割」である「男性の「ラング(=文化)」」の中で「真理集合」の「包含関係」により下位に置かれる状態である。この状態が「男女の不平等」という「シーニュ(表現と意味)」という「要素」を成立させる。  2-2,「男性側の不満」。男性から見た場合、伝統的な「女性の役割」である「女性の「ラング(=文化)」」を否定する事は、国民国家の社会制度である主流派の文化の「コード」からの逸脱で在り、「反例」が主流派の文化の「コード」から生じていると考える。「反例」が生じる結果。主流派の社会制度である「コード」の弱体化を促すと、否定的に見る人達が保守的な人達には女性にも男性にも居る。  現状での解決策である妥協点は、  女性の社会進出は、「ランガージュ」である、ヒトゲノムから生じる人間の生得的な能力で在り、人間と他の動物を区別する「言語」を使う能力を持つ事実から、女性と男性の平等性として理解するべきで在る。  世界各国の国民国家の制度の主流派の文化である「コード」の中に、女性の社会進出の結果としての、「「女性の「ラング(=文化)」の「部分集合」」と「男性の「ラング(=文化)」」の「部分集合」」」が、「「真理集合」の「包含関係」」ではなく、平等性を達成することで「=(イコール)」の状態を目指す事が考えられる。  ここで課題となるのが教育で在る。  「女性の「ラング(=文化)」」の中には、社会的な自立が行える「要素」が少ない状態が、現状での課題で在る。  この課題は、生涯学習やリカレント教育によって後天的に、通常は「男性の「ラング(=文化)」」の部分集合」に属する「要素」としての、社会的な自立を行うための知識やスキルを修得する事により、能力的な前提に基づき女性が社会進出を行える状態が必要であると考えられる。  今回のテーマからは逸脱するため、「「女性は男性よりも能力が低い」と考えるジェンダーバイアスによる「思い込み」の解消」」は論じない。  日本のビジネスの用語で「クッション言葉」という言葉が在る。意味(シニフィエ)は、相手に敵意を持たれない話し方で在る。  男性側が、女性側の社会進出に対して、男性側への女性側の対立や、社会主義的な階級闘争と考える状態が、現状での問題で在る。  女性側も、男性側に対しての、社会主義的な階級闘争と考える視点から脱却が必要で在ると考えられる。 3、「外国の文化の影響から脱却した、女性側の社会進出と権利獲得、男性側が納得する女性の社会進出と権利獲得の考察」  女性の社会進出の問題では、異なる「コード」を持った「ラング」である外国の国民国家の文化、社会制度の影響を、ウーマンリブ(女性解放運動)は受けて居ると考えるケースが多く見られる。  先に説明した「クッション言葉」から、世界各国の国民国家の、女性の社会進出を考えた場合。  「自分達の祖母や、母親、姉、妹、娘達が社会進出をしたいから、手伝う」  このような考え方を、世界の男性側は持つべきであると考えられる。  現在の2024年のウーマンリブ(女性解放運動)の現状を考えた場合。女性の社会進出が進まない、むしろ後退していると懸念を覚える女性達が多いと考えられる。  重要な要点は、生涯学習とリカレント教育である。  そして、女性が、男性と協力して、出産、育児を行い、職業を持ち、社会参加ができる社会の構築が、世界各国の国民国家の主流派の言語であり、文化、社会制度である「コード」の中に「反例」とならない形で組み込むことが必要であると考えられる。 次回は「PERT12LGBTQと差別の克服を目指す国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「PERT12LGBTと差別の克服を目指す国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、 1、構造主義社会学の視点から分析するLGBTと少数者差別。 2、従来SF的と考えられてきた分子生物学に基づく遺伝子組み換え技術が実用化段階に入っている現在と、LGBT。遺伝性疾患の後天的な克服の可能性。 1、「構造主義社会学の視点から分析するLGBTと少数者差別」  LGBTと少数者差別の問題は、前回のPERT11と重なる部分も多い。  1-1、「ランガージュ」としての全ての人間のヒトゲノムに基づく平等性。  この前提は重要で在る。LGBTと少数者差別の問題も「ランガージュ」に基づく前提が存在する。なぜ、現在世界各国の国民国家の主流派の文化であり社会制度である「コード」と対立するLGBTと少数者差別を、否定できないのか。  理由は、「ランガージュ」としての全ての人間のヒトゲノムに基づく平等性が存在する。世界的に認識されている。知的枠組みとしての「パラダイム」、換言すれば、「通時態」としての世界史の中で、現在の2024年の時点で在る「共時態」として理解されている。  1-2、世界各国の、国民国家の主流派の「ラング(=文化)」、社会制度の中で、保守の立場の人達が、LGBTと少数者への差別を是認する主流派の文化であり社会制度としての「コード」の「ラング(=文化)」の説明。  だが、「ランガージュ」に基づく平等性としてLGBTと少数者を肯定が出来ない保守の人達の思考を規定する、国民国家の主流派の社会制度である「コード」が存在する。国民国家や社会の弱体化が生じる可能性に対する懸念が、保守の立場の人達には根強く存在する。具体的には、マイノリティ(少数派)であるLGBTと少数者への差別は、社会の弱体化を避ける事を考えた場合。マジョリティ(多数派)である、保守の立場の人達は、LGBTと少数者を否定しなければならない。  前回のPERT11での説明を繰り返すと、LGBTと少数者を肯定する事は、国民国家の社会制度である主流派の文化の「コード」からの逸脱で在り、「反例」が主流派の文化の「コード」から生じていると考える。「反例」が生じる結果。主流派の文化であり社会制度である「コード」の弱体化を促すと、否定的に見る人達が保守的な人達には男性にも女性にも居る。社会制度の弱体化の具体的な内容とは、男性と女性が結婚して、家庭を設け、出産、育児を行う事により、国民国家の、総人口を維持、もしくは総人口を増やす目的からの逸脱(=「反例」)となる。LGBTと少数者への差別の根底には、主流派の文化であり社会制度を維持するための「コード」の物理的な問題としての、生物学的な総人口維持の課題が、大きく存在する。 2、「従来SF的と考えられてきた分子生物学に基づく遺伝子組み換え技術が実用化段階に入っている現在と、LGBT。遺伝性疾患の後天的な克服の可能性」  今回の、LGBTと少数者への差別のテーマは、「ランガージュ」としてのヒトゲノムの問題でもある。ヒトゲノムとは、分子生物学で扱う対象である。この15回シリーズのテーマである、構造主義社会学からは逸脱するが、SF的な技術が現在は実用化に入っている2024年の中で、遺伝子組み換え技術とLGBTと少数者への差別を考えていく。  2-1、男性と男性の遺伝子の組み合わせ、女性と女性の遺伝子の組み合わせで、受精卵を作り、子供が生まれる技術は、現在の2024年の分子生物学で可能である。  2-2、同様に、遺伝性疾患を持っている人間の、生殖細胞、もしくは受精卵のヒトゲノムを修復する事により、次世代では、遺伝性疾患を後天的に克服することが可能になる。この技術も、現在の2024年の分子生物学で可能である。  現在、遺伝性疾患に苦しむ人達も多いと思われる。だが、現在の自然科学は、飛躍的な発展を続けている。  LGBTと少数者も、今後の自然科学の発展により、「ランガージュ」としてのヒトゲノムの平等性を自覚できる時代へと向かう可能性も考えられる。   だが、ヒトゲノムの改変技術に対する生命倫理を考える事は、人文科学への大きな課題である。 「針屋商店」のボランティア活動の05回目です。 「PERT13と教育格差の克服を目指す国際共生への構造主義社会学」です。 テーマ「PERT13と教育格差の克服を目指す国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、  1、教育格差を生み出す。ラングの中での、パロールとしての個人間の知識の非対称性。  2、生成AI時代のラングの在り方。   世界各国で、教育が、必要な事は言を俟たない。だが、現実としては、世界各国で教育格差が生じている。この教育格差は、世界的な現象としては、生成AIの登場によって、大きな変容がもたらされている。  この現状の中で、教育格差が生じる。国家の中での個人を記号論の視点から概観する。  1、「教育格差を生み出す。ラングの中での、パロールとしての個人間の知識の非対称性」   まず、教育の格差は、個人の人生の中でのパロールの差異である。厳密に個人の能力の優劣を考えずに、能力を比較検討する場合。  全ての個人の教育格差と呼ばれる能力の差異は、個人のパロールの中に存在する。シニフィアンとシニフィエの差異である。  国民国家の主流派の文化であり、言語であり、記号であり、国家の権威、権力を支えるラングに基づく、シニフィアンとシニフィエが、個人の人生の体験の結果としてのパロールのシニフィアンとシニフィエの変容である。  「国民国家の文化そのものと定義される、ラングの中にあるシニフィアンとシニフィエが、個人の経験としてのパロールの中にあるシニフィアンとシニフィエに影響を及ぼし、シーニュの変容は、ラングとパロールの双方向性の中で行われる」(生成AIのChatGPTさんに確認をしている)  教育格差を考えた場合。パロールの集合としてのシニフィアンとシニフィエである、ラングは、教育格差が生じる現状の全ての、パロールとしての個人の経験の総和としての意味もある。  文系の学生や卒業生が、持っている、パロールとしての知識と、理系の学生や卒業生が持っている、パロールとしての知識は異なる。   家庭間に存在する、教育資産の差によって、教育格差が生じると考える場合。  個人のパロールの中での、シニフィアンとシニフィエの差異であると定義づけが可能である。  このような、教育格差の問題は、生涯変えることのできない個人のパロールの中に存在するシニフィアンとシニフィエとしての問題ではなく。後天的な教育の格差が、個人の人生の中でパロールの中に存在するシシニフィアンとシニフィエとして続くと定義づけが可能である。  遺伝的な人間の制約を、人間の記号操作能力、文化創造能力、言語使用能力としての、ランガージュから考えた場合。全ての教育は後天的な、国民国家の文化であるラングであると定義を行う場合。個人の教育内容としてのパロールの中に含まれるシニフィアンとシニフィエは、後天的に変容は可能である。  この定義は、学業を行うことを前提とする、学生の時期以降の個人のパロールの変容が、国民国家の文化であるラングのシニフィアンとシニフィエの変容に基づいて可能になると考えられる。  2、「生成AI時代のラングの在り方」  だが、現在は、大きな時代の変化が生じている。  大規模言語モデルと呼ばれる、生成AIの人類史への登場である。  結果的に、生成AIの登場以降の現在。教育格差は、従来の悲観的な、個人のパロールの中のシニフィアンとシニフィエに対する変容が人生の中で行えず、ネガティブな個人的な人生での体験を越える事が可能になっている。  従来の、国民国家の文化であるラングが目指す教育格差の是正を目的とした、シニフィアンとシニフィエの変容としてのリカレント教育、生涯学習、リスキリングは、高尚な理念と、産業社会の要請の両側面を持ちながら、広く受容されない難点を抱えていると考えられる。  この国民国家の文化であるラングが、個人の人生に働きかけるパロールに対して働きかける、シニフィアンとシニフィエの変容としての、教育格差の是正は、生成AIの使用によって可能になると考えられる。  現在、大規模言語モデルの生成AIは能力が上がり続けている。  この現在の状況の中で、パロールとしての個人の中に存在するシニフィアンとシニフィエの変容は、生成AIを用いた学習により可能であると肯定的に解決が可能である。  具体的な、生成AIを用いた、学習方法に関しては、この小論では扱わない。   だが、従来の悲観的な視点での、家庭間に存在する、教育資産の差、と呼ばれるネガティブな現象として、のパロールは、確実に、ポジティブな面でのシニフィアンとシニフィエの変容が生じることが可能になる時代が訪れたと考えるべきである。   「PERT14と国際共生の限界と、国家、民族、集団の現代的な復権のムーブメントと国際共生への構造主義社会学」です。 この「国際共生への構造主義社会学○○回 」の文章は全て、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのCC BY です。「CC BYの条件:原著作者の表示(BY)を条件に、作品の利用、改変、商用利用が許可」。原著者:針屋忠道、Copilot,ChatGPT。 テーマ「PERT14と国際共生の限界と、国家、民族、集団の現代的な復権のムーブメントと国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。  今回の内容は、  1、国際共生の限界。  2、国家、民族、集団の現代的な復権のムーブメント。  2025年08月31日の現在。人類の普遍的な認識能力であるランガージュ的な価値観(生成AIのCopilotさんの評価では一定の妥当性)と考えられていた、国際共生、グローバル化の潮流から、国家、民族、集団の、国民国家の文化や、民族文化、集団の文化のラングに復権が生じている状態である。  1、「国際共生の限界」  現在の国際共生の限界が、なぜ生じたのか。この問題は、歴史学的、政治学的、経済学的、などの思考のプロセスの他に、この小論では、記号論に基づく、思考のプロセスによる視座を提供することを目的とする。  国際共生や、グローバル化と呼ばれていた、21世紀の現在の2025年まで続く思考的な枠組みは。人類の普遍的な認識能力であるランガージュと、国民国家の文化であるラングの混同と同一視の状態が、世界各国の国民国家の文化であるラングの中で生じていた可能性を指摘する。  全ての人間は、国民国家の文化であるラングを通して、個人の人生の経験であるパロールを形成していく。 この国民国家の文化であるラングと、国民国家の成員である個人の内面であるパロールは、相互に変容を促す。   1-1、ラングのシニフィアンとシニフィエからパロールにシニフィアンとシニフィエの変容を促す。  1-2、パロールのシニフィアンとシニフィエが、ラングのシニフィアンとシニフィエの変容を促す。  この通常の国民国家の文化の内部で行われる。ラングとパロール間のシニフィアンとシニフィエの変容に、国際共生、グローバル化が、人類の普遍的な認識能力であるランガージュであると考えられた結果として、外国の文化であるラングが無批判に当該国民国家のラングに流入される。  結果的には、世界的に、人類の普遍的な認識能力であるランガージュのように一見すると見える、外国の文化のコードを持ったラングが、世界各国に流入する結果となる。  この結果、世界各国の、国民国家の文化であるラングは、著しく、社会秩序を維持するための機能に、支障を来す可能性が指摘可能である。  自国の国民国家の文化であるラングに対して、外国から流入する外国の文化のコードを伴ったラングの流入の類型を定義する。  1-3、国民国家の文化であるラングのシニフィアンとシニフィエの変容を、外国の文化であるラングがもたらす。  1-4、国民国家の構成員の個人的な人生の経験であるパロールのシニフィアンとシニフィエの変容を、外国の文化であるラングがもたらす。  1-5国民国家の文化であるラングのシニフィアンとシニフィエの変容を、外国の文化であるラングの伝播を行う外国人のパロールがもたらす。  1-6、国民国家の構成員の個人的な人生の経験であるパロールのシニフィアンとシニフィエの変容を、外国の文化であるラングの伝播を行う外国人のパロールがもたらす。  現在の世界の混乱状況は、 人類の普遍的な認識能力であるランガージュ的な価値観と考えられていた、国際共生、グローバル化の潮流が、世界各国の国民国家の文化を成立させるラングに破壊的なダメージを与えた事が、限界であると考えられる。  2、「国家、民族、集団の現代的な復権のムーブメント」 グローバル化の潮流が、世界各国の国民国家の文化を成立させるラングに破壊的なダメージを与えた結果。現代起きている世界的な国家、民族、集団の現代的な復権のムーブメントが生じていると考えられる。なぜ、人類の普遍的な認識能力であるランガージュ的な国際共生、グローバル化が否定的に解釈される現代の潮流が起きたのか。  人間の全ての認識能力は言語に基づく。この言語は、記号であり、国民国家の文化であるラングである。このラングに、人類の普遍的な認識能力に基づくと解釈される、ランガージュ的な外国の文化が流入する。  ランガージュ的な一見すると人類の普遍的な認識能力に基づくように見えるが、外国から流入する時点で、異なる国民国家の文化であるラングの影響を受けている。具体的には異なる国民国家の文化であるラングのコードが含まれている。結果的に、国民国家の文化であるラングの破壊が生じる。このラングの破壊に対して、  「  同じ、人類の普遍的な認識能力に一見すると見える、シーニュである、シニフィアンとシニフィエは、異なる国民国家の成員である外国人が、当該国民国家の文化であるラングに対して、シニフィアンとシニフィエの変容を迫る場合。同じシニフィアンとしての表現である概念「平和」であっても、異なる外国の国民国家のラングが解釈する、意味であるシニフィエでは、表現は同じ「平和」であっても、異なる文化的な背景を、異なる国民国家のラングに基づき持っていると指摘が可能である。」(この部分は、生成AIのChatGPTさんに妥当性の検証を行ってもらっている)   新約聖書と旧約聖書が普遍を証明する。ユダヤ・キリスト教徒である私は、こう考える。 「PERT15ラングの否定からラングの復権としての現代世界と我々人類。そして国際共生への構造主義社会学」です。 この「国際共生への構造主義社会学○○回 」の文章は全て、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのCC BY です。「CC BYの条件:原著作者の表示(BY)を条件に、作品の利用、改変、商用利用が許可」。原著者:針屋忠道、Copilot,ChatGPT。 テーマ「PERT15ラングの否定からラングの復権としての現代世界と我々人類。そして国際共生への構造主義社会学」  現在、人類の文明は、「人新世」と呼ぶべき歴史区分の時代に入っている。だが、世界では様々な対立や、分断、紛争が続いている。  だが、この全15回のシリーズでは対立の解消を目指すような、大それた事は考えていない。  建設的な方向性での、妥協案に近い形を目指す方法の模索である。    掉尾となる今回の内容は、現代世界で起きているラングの否定からラングの復権の動きを考える。  1、国民国家の文化であるラングの復権の現状。  2、国民国家の文化であるラングが肯定しながら、どのように、国民国家の文化であるラングのシーニュの差異に基づく対立から生じる紛争と我々人類は向かい合うべきか。  今回の内容は、前回の続きとなる。  1、「国民国家の文化であるラングの復権の現状」  国民国家の文化であるラングの復権は、現在の2025年では、避けようの無い現実である。  だが、この国民国家の文化であるラングの復権が生じる現在。  どのように、現在の世界各国の国民国家の文化であるラングが、存在し続けるのか。  当該国民国家の文化であるラングが、異なる外国の国民国家の文化であるラングに飲み込まれる現象は、人類史の過去から現在に至るまで続く世界史的な歴史的流れである。  この流れを避けようとしてきた、冷戦終結後の国際共生、グローバル化の流れは、思考的な枠組みの提供を行ってきた。  だが、国際共生、グローバル化は、一見すると人類の普遍的な認識能力であるランガージュに見える、価値観に支えられていたと考えられる。  だが、前回に述べたように、同じ、「平和」という名詞のシーニュは、世界各国の国民国家の文化であるラングでは異なる「表現であるシニフィアン」と、「意味であるシニフィエ」を歴史的な背景と共に持つ。  形相は、煩雑になるので論じない(生成AIのCopilotさんからも形相(フォルム)は使わないほうが良いとの判断を受けている)。  この結果、世界各国の国民国家の文化であるラングの中のシーニュの差異が、通時態的な視点の中での、共時態の現在である、2025年08月31の現在では、表面化していると考えられる。  結果的に、国民国家の文化であるラングの復権と共に、国際的な紛争が国民国家の文化であるラングにシーニュの差異に基づく対立が生じている。  2、「国民国家の文化であるラングが肯定しながら、どのように、国民国家の文化であるラングのシーニュの差異に基づく対立から生じる紛争と我々人類は向かい合うべきか」  私が提示できる要点は現状では限られています。  2-1、国民国家の文化であるラングの否定から現在の状況が生じている。  2-2、国民国家の文化であるラングを否定せずに、国際共生を目指す。  2-3、現在生じている、グローバル化というシーニュの限界を、世界各国の国民国家の個人単位のパロールのレベルで理解する。  今回の要点は、答えが出せない点が要点です。  現在進行している、世界各国の国民国家のラングの復権としての動きを、否定することは、国民国家の文化であるラングを、限定的に、もしくは全面的に否定する結果に繋がると考えられます。  この現在の状況の中で、国際共生を人類が、どのように行うのかが、課題です。  グローバル化という表現のシニフィアンは、現在、好意的な解釈のパロールのシニフィエである意味と、否定的な解釈のパロールのシニフィエである意味に、世界を構成する人類の中で分断されている現状があると考えられます。      ここに、「国際共生への構造主義社会学」の全15回シリーズを一旦終えます。  2025年08月31日、 針屋忠道 この「国際共生への構造主義社会学○○回 」の文章は全て、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのCC BY です。「CC BYの条件:原著作者の表示(BY)を条件に、作品の利用、改変、商用利用が許可」。原著者:針屋忠道、Copilot,ChatGPT。